ブラジルのリオ・デ・ジャネイロのという都市は情熱の象徴のような都市であるが、
この都市には表と裏がある。
どの国のどの都市にも表と裏はあるものだが、その裏の深度が途方も無く深く・・・
暗い。その暗闇が一体どこまでも広がっているのかさえも判らない。
僕がその深度を知るキッカケとなったのは・・・
2003年に公開された「シティ・オブ・ゴッド」という映画であった。
この映画史上に残る傑作が事実に基づいた物語である事を知ったとき、身震い
するような衝撃を受けた。
1960年代~80年代。『シティ・オブ・ゴッド(神の街)』と呼ばれるリオ・デ・ジャネイロ
の片隅の貧民街に住む少年たちが、生き残るためには、銃を手にするか、麻薬に
手を染めてしまうしか道が残されていないという悲しくも虚しい現実が鮮烈な映像
表現で描かれていた。
この映画の原作者パウロ・リンス自身が現実の体験者であり、映画の語り部なの
だが、彼は『神の街』で唯一、持ち堪えられた人物であった。
そして現代のリオ。
ストリート・チルドレンが溢れ、生き残るためには同様に犯罪に手を染めなくては
ならない。『ならない』・・・こう言い切ってしまえる虚しさが続いている。
ドキュメンタリー映画「バス174(BUS 174)」で描かれている直接の事件はリオ
で発生したバス・ジャックなのだが、監督や製作者が本当に描きたかったのは
この事件の背景にあるリオの深く、悲しい暗部である。
2000年6月12日、リオの174路線のバスに乗った青年・・・
サンドロは拳銃を手に11名の乗客を人質にする。
その模様は、まず市内に設置されていた防犯カメラが捕らえていた。
そして、警察、メディアと聴衆を巻き込みながら事件は推移するのだが、その有様
をメディアのカメラが四方八方、一部始終、切り取ってみせる。
だが、警察もメディアもサンドロの意図を掴みきれない・・・
確かに彼には複数の犯罪歴もあり、脱獄囚でもあったが、金を要求する訳でもない。
「銃と手榴弾を渡さないと人質を殺す!」
人質に銃口を向けながら、悲鳴のようにただ叫び続ける。
この事件をリアルタイムでテレビで観たブラジルの人々のほとんどがこう思った筈だ。
「イカレタ奴がどこから湧き出て来てしまった。」
確かに表面的な行動を見ているとイカレタ奴としか思えない。
いつ人質に手が掛けられるか判らない。こんな奴はすぐに射殺すべきだ・・・。
ブラジルにいて生中継でテレビを見てれば、私もそう思ったかもしれない。
事件を中継した様々なビデオ素材が劇中に流れるが、犯人のサンドロはあまりにも
不用意で隙が多すぎる。当然、警察にとって、狙撃のチャンスは何度も訪れるのだが、
警察は何故か狙撃や突入を強行しない。
メディアがリアルタイムで映し出している事件であるがため、凄惨な『射殺シーン』
なんぞが流れてしまったら大統領選を直前に控えた政府筋にとっては大きなイメージ・
ダウンになる。もし、誤って人質にでも被害が及んだら、それこそ取り返しがつかなく
なる。そう判断した政府筋は警察に圧力を掛ける。
そのような状況下、指揮系統さえも、どっち付かずの警察が翻弄されるなかサンドロが
突然、ある言葉を発する。
「映画じゃない!本物だぞ!・・・ビガリオでも殺しまくっていたな!カンデラリアには
俺もいた!イボネに聞け!」
カンデラリアというのはリオの・ダウンタウンにある教会の名称だ。
90年代前半、カンデラリア教会前の広場は、ストリート・チルドレンにとって数少ない
寝泊りできる場所であった。最初は少ない人数だったが、『神に祈る』しか道が無い
子供たちが自然と増えて行き、悲しい生活体が出来上がっていた。
サンドロも少年期、そこで寝泊りしているストリート・チルドレンの一人だった。
そう・・・彼は社会から”見えない子供”だったのだ。
イボネというのはカンデリア教会の前で寝泊りする子供たちのための施しを行って
いたソーシャルワーカーの女性の名前である。(劇中、彼女のインタビューもある。)
しかし、カンデリア教会の前でダンボールと汚れた毛布で、寝泊りしている子供たち
は常に危険にされられていた。彼らを『街のゴミ』としか考えない連中は道路の敷石
を彼らの頭の上に落とし、眠っている子供たちを虐殺した。
1993年7月さらに酷い事件が発生する。
子供たちが自分たちの面倒を見てくれているソーシャルワーカーの誕生日を
ささやかに祝った翌日の事だ。
既にシンナーやコカインに手を伸ばし、犯罪にも手も染めていた子供たちは、
警察とも度々イザコザを起こしていた。
そして事件の日、真夜中前後、2台の車が止まる・・・。
子供たちはいつも施しをしてくれるソーシャルワーカーがてっきり温かいスープ
を持ってきてくれたものだと思っていた。
だが・・・違った。
2台の車から降りてきた男たちはいきなり銃を乱射し、子供たちを虐殺した。
教会の前の路上は子供たちの血と肉片で塗れた。
サンドロはその修羅場の中を生き残っていた。
虐殺を行った人物の特定はできていないが、彼らとイザコザを起こしていた警察関係
者であったというのだ。
7人の子供が殺され、62人が生き残った・・・。
しかし、生き残った子供たちの内、39人がその後、殺害され、その他に行方不明と
なった子供が多くいた。
サンドロが叫んだ言葉はその虐殺事件のことを示していたのだ。
世間は”見えない子供”の死などどうでも良かった。虐殺事件後も彼らを無視した。
そして子供たちの生活体もバラバラになってしまう。
子供たちは生き延びるために、罪を犯しては名ばかりの少年刑務所や更正所に
入れられるた。だが、そこも地獄であった。更正教育など何もなされない、暴力に
よる子供たちへの虐待が蔓延っていた。
サンドロは『濡れネズミ』と呼ばれるスラム街生まれ、6歳まで育った。
だが、大切な母親が三人の男たちに目の前で惨殺される。
その様の全て幼くして目撃してしまったサンドロは母の葬儀も避けるほど、心の奥
深く、大きな傷を負ってしまう。彼には父親もいなければ祖父母もいない。
叔母(母の妹)のもとに暫く預けられるが、そこには彼の居場所は無かった。
孤児となった彼は叔母の家を出てストリート・チルドレンとなってしまう。
そんなサンドロにも手を差し伸ばしてあげようとする良心ある人もいたが、彼の
心の大きな傷を癒す事はできなかった。読み書きすらできないサンドロのような
人間を受け入れる社会は表には存在しない。裏の社会を生きるしかない。
そして彼は再び罪を犯す。そして、豚箱よりも酷い留置所に入れられる。
しかし、同じ留置所にいた男が、留置所のカギを盗みことに成功する。同じ留置所
のメンバーと一緒にサンドロも脱獄する。
”見えない子供”であったサンドロが社会の人々前に姿を現した時、彼は、
バス・ジャック犯となっていた。既に年齢も20歳を超えていた。
サンドロが何故、バス・ジャックを起こしたのかその理由は誰にも判らない。
しかし、彼が引き起こしたバス・ジャック事件は時間経過とともに意外な方向へ
動いて行く。
彼は『人質を殺す』と叫んではいたが、実は誰一人、殺すつもりも無かったような
のだ。学生と老人を釈放した後、彼は人質に大げさに怯えるよう指示を行い、
演技をさせていた。
バスの中で、実際に女性を射殺すると言って銃を発砲して見せるのだが、実は
誰も撃ってなどいなかった。
その時も、あたかも誰かが撃たれたかのように、人質に派手な演技をさせている。
その事は人質たちが証言している。
サンドロはこれまでの多くの犯罪を犯してはいたが、人に手を掛けた事も一度も
無かった。また、ほとんどの人質が当初こそ彼を恐れていたものの、彼の殺意を
感じなくなっていた。人質の女性の一人は彼に向かって穏やかに声を掛けている。
「これから大変なのは、助かるかもしれない私たちより、あなたの方よ・・・。」
(このような状況は犯人と人質間に生まれる妙な共同意識、『ストックホルム症
候群』の一種と見る向きもあるだろうが、人質になった人々のインタビューを見ると
単純にそうは思えない。警察側に対する罵声を浴びせるような態度はあくまでも
外向けのパフォーマンスでしかなく、彼が実際にバス内部の人質だけに判るよう
に話している内容は冷静で落差があまりにも大きいのだ。その落差が症候群に
陥る可能性もあるのだが・・・))
彼は”見えない子供”たちの代弁者にしか過ぎな筈だった・・・。
・・・事件がそのまま終わっていれば。
だが、事態は最悪の結果を招いてしまう。それも信じられないような事態だ。
人質の中で一人だけパニックに陥った若い女性がいた。名前はジェイーザ。
他の人質も「彼はあなたを殺さない」と
サンドロは何を思ったのか、自分が狙撃される可能性があると判っているのに、
そのパニックに陥った女性に「散歩に行こう」と声を掛けて、彼女に銃口を向け
ながら一緒にバスの外に出る。
外に出て警察に包囲され、説得され、諦めて、全てが終わる筈だった。
サンドロとジェイーザはバスの外に出て、人質解放の交渉の陣頭指揮に立って
いたペンチアード警視正の前に立つ。
だが、バス・ジャック事件の対応に当たっていた、警察側には大きな問題があった。
警察側はエリート特殊部隊員を除けば、まともな訓練も受けた事が無ければ、
装備も不十分、通信手段さえ使えない寄せ集めの烏合の集団でしかなかった。
烏合の集の、一人の警官が無謀にも、突如、飛び出して来て銃口を向ける。
サンドロとジェイーザの目前で2発発砲する。
しかし、30センチ以内という至近距離であったのに、ミスを犯し、弾はサンドロには
一発も命中しない。
サンドロは避けながら倒れ込む際、ジェイーザに向けていた銃口のトリガーを弾い
てしまう。
何発かの銃声・・・。
騒然とする現場!警察もメディアも野次馬も入り乱れる。
ジェイーザの体には4発の弾丸が打ち込まれていた。
サンドロは警察に銃口を向ける余裕は無く、弱者のジェイーザを撃ってしまう。
だが、なんと驚くべき事はジェイーザを撃った4発の弾の内、1発は警察の放った
弾であったのだ。それも頭部を撃たれた弾だ・・・。
ジェイーザは20歳でこの世を去った。
仕事に向かう途中のバスに乗っただけなのに・・・。
だが、事件はまだ驚くべき展開を見せる。
聴衆の怒号と罵声が飛び交う中、サンドロはほとんど無傷で逮捕された。
そして、護送用のパトカーに乗せられた・・・。
サンドロはその中で処刑された・・・。
警察官に首を絞められ殺された。
警察官たちの罪も問われたが、陪審員が無罪にした。
そしてまた、リオの警察官へと戻って行った。
サンドロの人生にどんな背景があろうと彼が犯した罪は決して許されるもの
ではない。
だが、この虚しさはなんだ・・・。
映画の冒頭、海側からリオの美しい風景が映し出される。
丘の上に並び立つ瀟洒な家並み・・・
だが、突如、その美しい丘が途切れる・・・絶壁の下に広がる奈落を映し
出す。
奈落の底には捨てられたガラクタの積み木のような家が犇いている・・・。
『濡れネズミ』・・・そこがサンドロたちが生まれた場所。
その暫く先には・・・また整備された街並みが広がっている。
映画のラスト、サンドロの遺体の入った安っぽい棺はガラクタの積み木に
しか見えない不揃いの小さい十字架が乱立した墓地に捨てられるように
埋葬される。
彼の埋葬に立ち会ったのは、ほんの一時期、彼に手を差し伸べてくれた
老婆がたった一人。
サンドロはその老婆に語っていた。
”働いて、家族を作るのが夢”
こんな悲しい夢があるか・・・。
今、この世界に確かに存在している”見えない子供”『ストリート・チルドレン』
の数はユニセフでさえまったく把握できない状況が続いている。
数は減少するどころか、年々増加の一途を辿っていると言われている。
平和ボケ日本にこの映画の背景にあるものの闇の深さがどれ程、人々の
心に届くのかどうか、正直言ってよく判らない。
多分、ほとんどの人々が遠い国の関係ない不幸な出来事といった認識では
ないだろうか?
だが、忘れてはならない”見えない子供”を作っているのに、我国も間違いなく
間接的であれ、関与しているのを・・・。そしてそれが誰なのかを・・・。
我々、『一般市民』である事を。
■映画作品情報
タイトル:「バス174(BUS 174)」
監督:ジョゼ・パジーリャ
共同監督・編集:フェリッピ・ラセルダ
製作:ジョゼ・パジーリャ、マルコス・プラード 共同製作:ホドリゴ・ピメンチウ、
撮影:セーザル・モラエス、マルセロ・グル
音楽:ヤン・サウダーニャ、アロイージオ・コンパッソ リサーチ:ジョルジ・アウヴィス、
フェルナンダ・カルドーゾ
制作年:2002年/ブラジル 上映時間(本編):119min
配給:アニープラネット、提供:アスミック・エース エンタテインメント
■バス174公式サイト
http://www.bus174.jp/
私が敬愛するドキュメンタリー作家であり、ジャーナリストでもある森達也氏もこの
に寄稿されていた。流石だ!
■AmazonDVD販売サイト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CFWOQG/
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